募集要項




楽文事業運営部会 世話人 中村巨樹



第15回楽文コンテスト優秀作品



梅津 朱音 島﨑 爽静 德永 嵩直 濱田 朋 諏訪 陸矢
松崎中学校1年 香椎第三中学校1年 七隈小学校5年 原北小学校1年 箱崎清松中学校2年
梶原 くるみ 原田 宗卓 大村 結子 髙見 航星 大和 未波
箱崎清松中学校1年 照葉中学校1年 博多小学校6年 城原小学校2年 千代中学校2年
田中 星奈 福田 翔 篠崎 莉里 桃﨑 勇斗 内立元 りん
和白中学校1年 箱崎清松中学校1年 和白東小学校6年 香陵小学校2年 照葉中学校3年
荒巻 龍朗 栁原 紫音 中村 陽和 藤本 愛衣 中野 碧
千代中学校2年 能古中学校1年 賀茂小学校6年 小田部小学校3年 照葉中学校3年
西村 美紅 吉岡 心 矢野 裕士 小樋井 千里 松浦 矢苑
原北中学校2年 和白中学校1年 博多小学校6年 金山小学校4年 箱崎清松中学校3年
     







博多祗園山笠振興会賞 梅津 朱音 (松崎中学校1年)
「私の大好きなこと」

私の大好きなことは、音楽です。最近は、部活や夏休みのため、音楽とふれ合う時間が増えました。
私が音楽を本格的に始めたのは、小学2年生の時でした。幼稚園の頃から、歌うことやけんばんハーモニカが好きだったので、ピアノを習い始めました。それから、合唱やギターにも興味を持ち始めました。
その中でも、私が一番好きな音楽は、合唱です。合唱との出会いは、小学6年生のときです。クラブ活動でミュージッククラブに入ったことがきっかけです。ミュージッククラブでは主に合唱をし、NHKの合唱コンクールに出場しました。そして、私が歌うことが大好きだということを知った顧問の先生が、公民館でやっているサークル活動にさそってくれたので、合唱サークルに入りました。
学校でみんなの前で歌ったり、サークルでは老人ホームへ慰問に行ったり、みんなの前で歌うことが多くなりました。慰問に行って歌ったときには、泣いてくれる人もいて、私たちの歌でこんなに感動してくれて、とてもうれしかったです。私達、歌う方にとってはがんばって練習した成果を聞いてもらえるだけでも、私たちの喜びです。
合唱は、自分自身が音を出す楽器になることができるので、すごいことだと思います。歌は自分の声や表情で人々を感動させることができるすばらしいものです。仲間達と一緒に歌う合唱は、いろいろな声の持ち主が集まって、気持ちを一つにすることでとてもすてきな音楽ができあがります。私のこの音楽ができあがる瞬間が大好きです。
音楽は、「音を楽しむ」と書きます。私達の生活のなかでは、いろいろな場面で、いろいろな音楽が流れていて、音楽は欠かせないものになっています。
そして、音楽は努力があってこそ、生まれるものだと思います。才能があっても、人一倍努力しているはずですし、なにもしないでうまくなれる人なんていないと思います。私も音楽では、誰にも負けたくない気持ちで日頃から歌ったり、声を出したり、ひまな時には楽器の運指を確かめたり、どこでも音楽を忘れないようにしています。
私の名前には「音」という字がついています。大好きな「音」という字とつながって生きていけるようで、うれしいです。そしてこれから、もっともっといろいろな音楽に出会って、学んで楽しんでいきたいと思います。


博多祗園山笠振興会賞 梶原 くるみ (箱崎清松中学校1年)
「夢に向かって」

 私の夢は、ピアノのコンクールで優勝することです。このような夢ができたきっかけは家族との関係があります。
私は、小さい頃からピアノをひくことが大好きで、毎日のようにピアノで遊んでいました。二年生の頃、いろんな曲がひけるようになりたいと思い、家族と相談し、ピアノを習い始めました。これが私の夢につながる第一歩です。
私は、去年初めてコンクールに出場しました。その時は、練習をあまりしなかったり、甘い気持ちで本番にのぞんでしまった結果、入選することしかできず、悔しい思いをしました。私は、コンクールが終わった瞬間から「来年は、もっと本気で練習に取り組もう。」と思いました。
私は、人前で発表する時に、音を間違えたりして練習の成果が出せないことがよくあります。だから私は、この夢を叶えたいと思い始めてから、音楽会や合唱コンクールなどのピアノ伴奏に、自分から積極的に立候補するようになりました。
私が、ピアノ伴奏を立候補することには、もう一つの理由があります。それは、「みんなの役に立ちたい」という理由です。私は、日頃、あまりみんなの役に立つことができません。だから、この時くらいは、みんなの役にたとうと思って立候補をします。そして、友達や家族が喜んでくれる顔を見ると、それが、私の力になって、また頑張ろうと思うことができます。
今まで、練習などに付き合ってくれたり、送り迎えをしてくれたり、いろいろと応援してくれる家族への感謝を忘れずに、練習に励んでいきたいです。一人の力では、何もできないけど、家族の支えがあれば、出来ることはたくさんあると思うので、これからも夢に向かって、一歩、一歩、歩んで行こうと思います。


博多祗園山笠振興会賞 田中 星奈  (和白中学校1年)
「書道の楽しさ」

 「わぁすごいなぁ。」
私は先生の字にどんどん魅了されていった。そう、私が大好きなのは書道です。
私は五才の頃、ある友達に誘われたのがきっかけで書道を始めた。習い始めた頃はまだ幼稚園生だったので硬筆しかできなかった。なので私は
「早く書道をしたい。筆を使って文字を書いてみたい。」
とすぐに思うようになった。
 それから二年が過ぎ、私は小学生になった。小学生になるとすぐ母に、
「習字バックがほしい。」
と言った。すると母は、
「うん、そうだね。星はもう一年生になったから習字バックたのんであげようね。」
と言ってくれた。私はその時とてもうれしくて、
「早く届かないかなぁ、早く中を見てみたいなぁ。」
とずっと思っていた。
 そしてある日、私は普段通り書道に行った。すると、扉を開けた瞬間に書道の先生が、
「星奈さん、あなたの習字バック届いてるよ。」
と言われ、私は飛びつくように先生の所に行った。するとそこには、ピカピカの習字バックがあり、私は、
「これが本物の習字バックかぁ、すごく大きいし、かっこいいなぁ。」
と感動した。その日は使えなかったが、一週間後に母から、
「使っていいよ」
と許可がおりた。いざ使ってみると、鉛筆になれていた私にはとても難しく、自分の思っている字が書けず、悔しい思いをしていた。
そんな時、私のはげましになったのは、私を書道に誘ってくれた同じ学年のある友達だった。その友達は私よりもはやく書道を始めていたのでうまかった。その友達は私に、
「私も最初の方はそんなにうまく使えなかったから大丈夫だよ。」
と言われ、ホッとした。
 そんなやりとりをしながら、早くも六年が経ち、いろいろな友達も入ってきた。書道には級や段があり、八段が一番高いとされている。私はその頃まだ四段だった。段はどんどんあがるにつれ、審査が厳しくなっていき、私が思うようには上がらなくなっていった。
 そんなある時の検定で、四段から準五段に上がった。私はこれまで何度も検定を出して来たけれど上がらず、悔しかった。けれど、この瞬間はとても格別だった。それが私が習字を大好きになった瞬間だった。この悔しさとうれしさを忘れず、これかも大好きな書道を続け、八段目指してがんばっていきたいと思う。


博多祗園山笠振興会賞 荒巻 龍朗  (千代中学校2年)
「僕が大好きなこと」

僕が大好きなこと、それはやっぱり博多祇園山笠です。何故山笠が好きなのかというと正直よく分かりません。でも僕は、生後三か月のときから父親に抱かれ山笠に参加していました。だから、自然と山笠を好きになっていたのだと思います。だって、山笠抜きの七月なんて考えられないんですから。
こんな僕が今年、人生で初めて山笠に参加しませんでした。理由は祖父が亡くなったからです。今まで山笠抜きの七月なんて考えることもできなかった僕のもとに、その時はいきなりやってきました。はじめのうちは「今年山笠に参加できないことは仕方ないことなんだから、山笠のことを考えることはやめよう」と思えた自分がいました。
しかし山笠の時期が近づくにつれ、山笠に出たいという気持ちは強くなり、山笠が始まって「おっしょい」や「おいさ」という声を聞いたり、山笠の格好をしている友達や先生を見ると羨ましいと思ったり、自分が山笠に参加できないことに対してイラ立ちを感じることもありました。
そんな中で学べたことが二つあります。まず一つ目です。それは僕が本当に山笠が好きなんだなということです。だから今年山笠に参加できなかった分も精一杯来年がんばりたいと思いました。
 二つ目は、僕は今年山笠に参加できなかっただけだけど、中には僕と同じように山笠に参加したいのにこの先それができない人達もいることです。その人達とは、女の人達のことです。山笠は男の人しか参加できないというルールがあります。だから山笠が大好きで、小学校のころまで山笠に参加できていた女の人達は、中学生になると山笠に参加できなくなります。僕は今年、たった一度だけ山笠に参加できなかっただけでこれだけの思いをしました。だからこれからは僕のような思いを持つ、女の人の分まででしっかり力を出し尽くしたいと思いました。
 最後に、女の人達は山笠に参加することができなくても、ごりょんさんとして山笠をサポートすることができます。だから山笠が大好きな女の人は、ごりょんさんとして山笠のサポートをよろしくお願いします。


博多祗園山笠振興会賞 西村 美紅  (原北中学校2年)
「私が大好きなこと」

百人一首の中に、ゆらのとを~という歌があります。「由来の海峡をこいで渡る船人がかじを失って漂うように、行方の解らない恋の道だ」という意味の歌です。このように私は、短歌の現代語訳を知ることが大好きです。
 なぜ好きかと言うと、今の人と昔の人との考え方を比べることができて、何が違うか、何が同じかを理解することが楽しいからです。また、人が思うことは今も昔もそう変わらないことも解って、時代がどんなに離れていても感じることは同じということが嬉しいからです。
 私は歌集の中で特に好きな歌集が「百人一首」で、この歌集は、掛詞・縁語などの技法を用いた知的で優美な歌が多いからです。他にも好きな歌がたくさんあって、在原業平朝臣が詠んだ
「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
や、紫式部の
「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」
など、意味の奥に隠された本当の「意味」がある歌を知ることも、歌とつながることができる気がしてすごく楽しいです。
 私が他に大好きなことは、シェイクスピアの名言を知ることです。「ハムレット」は名言の宝庫で、私が好きなセリフが「愛が運命を導くか、それとも運命が愛を導くか。それは、われらの人生がめいめい試さねばならぬ問題。」「喜怒哀楽の激しさは、その感情とともに実行力まで滅す。悦びにふける者は哀しみにもふけるが習しい。ともすれば哀しみが悦び、悦びが哀しむ。」「世の中の関節は外れてしまった。あぁ、なんと呪われた因果か。それをなおすために生まれてきたのか。」「決心は記憶の奴隷にすぎぬ。記憶しだいでどうとでもなる。」「生きるべきか死すべきかそれが問題だ。」「たとえ幾千幾万の兄があり、その愛情すべてを寄せ集めたとしても、俺一人この愛には到底、及ぶまい。」などです。
 最初は何が言いたいかよく解らなかったけれど、自分なりに解釈してみると、意外とおもしろくて、悲劇のセリフから遠ざかっていくところも新鮮な感じでおもしろいです。他にも、言葉が難しいものがたくさんあるけれど、一つ一つをよく考えて、「言葉の意味のまま受け取る」ということができるということも、私がシェイクスピアの言葉を知ることが好きな理由です。


毎日新聞社賞 島﨑 爽静  (香椎第三中学校1年)
「大好きな柔道」

ぼくが夢中になっていること、それは保育園の頃に始めた柔道です。柔道は自分自身を成長させてくれるだけでなく、人との絆の大切さを教えてくれるからです。
 この夏、ぼくはインターハイの柔道競技を観るために奈良へ行きました。ぼくが保育園の頃、近所に住んでいた優しい先輩が、宮城県代表として出場するからです。先輩は、お父さんの仕事で十カ月だけ福岡に住んでいました。その頃の僕は柔道を始めたばかりで、先輩はいろいろな技を教えてくれたり、ぼくの両親が仕事で遅くなる時は、ご飯を食べて一緒に柔道の練習に連れて行ってくれたりしました。そんな優しい先輩の家族が宮城に帰ってしまうことになって、ぼくはとても悲しかったけど、先輩のお母さんが、
「柔道を続けていたら、離れていてもきっとまた会えるよ。」
と言ってくれたので、その言葉を信じてぼくは毎日柔道をがんばっていました。
ぼくが二年生の終わりの頃、東日本大震災が起こりました。先輩の住んでいる町も津波の被害にあって、たくさんの人が亡くなっているとテレビで報道されていました。ぼくたち家族は心配して連絡を取ったら、やっと三日目に電話がつながりました。先輩の家族は全員無事でしたが、避難所にいました。先輩がいつも使っていた柔道場は遺体安置所なっていることを聞いて、心の底から恐怖を感じました。
そんな中、先輩はしばらく柔道ができない状態だったけど、生まれ育った町を離れることはできないと、宮城に残ったそうです。
それから先輩は高校生になって、宮城県の73㎏級のチャンピオンになったのです。先輩は大学に行かないので、これが最後の大きな試合になるかもしれません。ぼくたち家族は、みんなで応援にいくことにしました。
朝一番の新幹線に乗って約五時間半かかって奈良の天理大学に着きました。先輩は一回戦、二回戦と順調に駒を進め、一本勝ちを決めていましたが、三回戦目に身長がはるかに高い相手に負けてしまいました。
でも、震災にあったのに柔道を頑張って続けて、インターハイにまで出られた先輩はすごいなあと思いました。今まで当たり前のように柔道をやってきたけど、感謝しないといけないんだと教えてもらった気がします。
先輩は、故郷の復興のために宮城県警の試験を受けるそうです。これからは、ぼくが柔道を頑張って、インターハイに出て、先輩がなしえなかった優勝ができるように頑張りたいです。そして、今度はぼくの応援に来てもらいたいです。
柔道をやっていたらきっとまた会えるというのは本当だと思いました。
さあ、今日もまた練習です。


毎日新聞社賞 原田 宗卓  (照葉中学校1年)
「ぼくの大好きな事」

ぼくの大好きなことはラグビーです。
その理由は、個人競技にはない、仲間の助け合いや協力性があるからです。
例えば、タックルで相手を倒せなかった時に、後ろにいる仲間がフォローをしてくれたり、一緒に相手にぶつかったりしてくれるからです。
一人では突破できない場面でも、ステップやパスを使って仲間と協力することで、点を取ることができます。この協力プレーが団体競技のおもしろさだと思います。
反対に失敗すると自分だけのミスにとどまらず、全体のミスにつながり、点を失うこともあります。そのため、ミスできない緊張感もあります。
なので練習の時には、試合を想定してミスをしないように、また、仲間のミスをカバーできるように繰り返し練習しています。
ぼくは、ラグビーの精神も大好きです。ラグビーには「ノーサイド」という精神があります。試合が終わると、敵味方関係なく相手をたたえ合います。これは他のスポーツでは見る機会がなかなかありません。 ラグビーの試合が終わった後に、お互いのプレーのどこが良かったか言い合ったりします。負けて悔しがるだけでなく、相手のプレーを研究することにつながります。相手の良い所や強さを認めることもよい訓練になると思います。
ラグビーといえば「一人はみんなのために。みんなは一人のために。」という精神です。この精神は、仲間を信じて力を尽くす精神です。
後ろにいる仲間を信じてタックルをして道を開きます。ボールを持った仲間はその道を無駄にしないよう走ってパスをつなぎます。
みんなで心を一つにしてゴールを決めたときは、言葉にできないほどうれしいです。ぼくはラグビーを続けていきたいと思います。


毎日新聞社賞 福田 翔 (箱崎清松中学校1年)
「友達を大切に」

みなさんは、いつも一緒にいた人が突然遠くに行ってしまい、悲しんだ経験はありますか。
 小学校生活最後の年。私は5年生の時に仲の良かった人とわかれてしまい、そのクラスになじんでいなかった。そんな時、自然にしゃべりかけてくれて自然と仲良くなったのが、今、転校してしまった、私の一番の親友だ。その親友とはすぐに打ち解け毎日一緒に遊んだり、帰ったり、いつも一緒にいるようになった。学校を卒業する時には、
「ずっと友達やね。」
とこれからもずっと親友と約束することができた。
 中学校に入ると、3クラスから6クラスになり、全く知らない他の小学校の人たちとなり、不安や緊張でいっぱいだった。しかし、クラスにたくさんの友だちができて、なじむことができた。しかし、人数がとても増えたこともあり、親友としゃべる時間や遊ぶ時間も減った。親友より今一番近くにいる1の6の友達と休みの日に遊ぶ時間が増えた。
 そんな時、朝学校に登校すると、学校の時仲の良かったメンバーが暗い表情をしていた。もちろんその中には親友も。何人かが泣いていたので心配になって声をかけた。
「ねえ。ねえ。どうしたと。」
すると、その時私はとんでもないことを聞いてしまう。
「あのね。これ誰にも言わんで。私、あとちょっとで引っ越すと。千葉に。」
私は、その時、ショックで泣いてしまった。いつも一緒にいて、一番の親友だったのにいなくなるなんてという悲しい気持ちと、もっともっと一緒にいればよかったという悔しい気持ちが入り混じっていた。
私の周りでは、転校する親友にメッセージを書く友達が増えていた。私もそのメッセージを書いてと言われ、少し悩みながら、30分ほどかけてその親友への気持ちを長文で書いた。6年の時親友と仲良くなれてうれしかったことや、本当にずっと親友の優しくて一緒にいて楽しいところが大好きなことなどを書いた。
親友が千葉に行く日、私は部活で見送りはできなかったけど、どんなに遠くに行っても私たちが親友であることにはずっと変わりないと思うから、親友のことをこれからも大切にしていこうと思う。もちろん、1の6の友達やその他のクラスの友達もみんな大切にしようと思う。


毎日新聞社賞 栁原 紫音 (能古中学校1年)
「僕の大好きなこと」

僕は、歴史が大好きです。昔の人が何を考え、何をしたのかを知ることは、とても興味深いです。
 今僕は、戦国武将の伊達政宗について調べています。彼は、後に独眼流という異名で呼ばれた猛将です。そして、豊臣秀吉、徳川家康という二人の天下人に警戒されながらも、知恵と勇気で生き残り、仙台藩七十二万石を築き上げた人物です。
 伊達政宗のことを調べていて、とても印象に残ったエピソードを話します。政宗は、幼名を梵天丸といいます。梵天丸は、無口で恥ずかしがりやというおとなしい子どもだったそうです。さらに、疱瘡という病気にかかって、顔に跡が残り、その毒が右の眼に入って見えなくなってしまいました。そのため、ますます人前に出るのを嫌がるようになってしまったそうです。さらに梵天丸に絶望した母親は、弟の方ばかりを可愛がるようになったそうです。
 そんなコンプレックスの塊のような梵天丸を救ったのは、彼の教育係を引き受けた虎哉宋乙という僧です。ある日、梵天丸がためらいながら虎哉に尋ねました。「丸の片方の目が見えないのは、どうしたのじゃ。」虎哉は、静かな口調で諭すのでした。「若殿の右眼は、龍がほしいというて、もらっていったのじゃ。龍はな、雲を呼んで天に昇ることのできるものなのじゃ。だからな、龍は、きっと若殿が強い大将におなりになるように守っておりましょう。若殿は、誰も真似のできない偉いことをされたのじゃ。おわかりじゃのう。」これを聞いて、梵天丸は、大きくうなずいたそうです。それからの梵天丸は、積極的に学問や武芸に打ち込むようになり、明るくたくましい少年に成長したそうです。
 僕はこのエピソードを知って、とても感動しました。人は人と出会うことによって、こんなにも変わるのだなと思いました。そして、自分が気にしている短所が、実はすばらしい長所なんだと思えたとき、人は本気で変われるのだなと思いました。
 僕は今、いくつかのコンプレックスで悩んでいます。自分が好きになれずにいます。でもこれから、いろんな人と話しをしたり、いろんなことを勉強したりして自分の短所の裏返しの長所って何だろうと考えてみようと思います。そして、その答えが見つかったとき、きっと僕は、自分をすきになれるような気がします。僕によりよい生き方のヒントを教えてくれる歴史が、僕はますます好きになりました。


毎日新聞社賞 吉岡 心 (和白中学校1年)
「新しい家族がやってきた」

「この日が来た。」私はそう思いながら、いつも以上に元気に学校へ出かけた。今日一日の授業を終えた後、急いで学校から走って家に帰ってきた。
 それから時間になったらママと妹と私の三人で、家族がいるペットショップへ車で行った。そう、今日から私達の家族になる犬のお迎え日。犬の名前もう決めている。
 どんな名前がいいかといろいろ迷ったが、オスなので、名前はりょうまにした。
 なぜこの名前にしたかというと、私達の家族は女子が多く、パパはいつも一人で寂しいのでオスを飼い、名前はパパが好きな坂本龍馬という人物の名前をとってつけた。
 まだ、赤ちゃんのりょうまはとても小さくてかわいかった。初めて小さいりょうまをだっこするのは、落としそうでソワソワしたが、とてもフワフワで、きれいなレッド色の毛を触るたびに癒された。りょうまを家の形の箱に大事に入れて持って帰ったあの日のことをとても懐かしく思う。
 家に着いたりょうまは、初めのほうはすごく怖がっていたけど、今ではそんなことがなかったように慣れていて、元気に家の中をかけまわるほどで、頭を壁や椅子の足にぶつけたり、高いところからの着地に失敗して転んだりと、とてもやんちゃだ。
 だけど時には、家族みんなを癒したり、元気付けてくれたり、家族みんなのアイドルであり、かけがえのない存在だ。
 りょうまは、いつも私が学校に行くときにお見送りしてくれる。
「いってらっしゃい。」
とほえて言ってくれる。また、疲れて帰って来たときも走ってお出迎えをしてくれて、元気付けてくれる。そんなりょうまが私は大好きだ。
 これから先、健康で元気に過ごしてほしいし、今みたいに家族みんなのアイドルでいてほしいと思う。りょうまは私達の大切な大切な宝物なので、これから先もずっと大事にお世話していきたい。


NTTドコモ賞 德永 嵩直 (七隈小学校5年)
「できた、タックル」

「おおー」体育館からお母さんたちの声が聞こえた。そしてぼくは心の中で、「やったー」とさけんだ。
 ぼくは、タックルのときに、かんとくとコーチから「体が横になっているぞ。」と言われて来た。ぼくは体をたてにしようとしているのだが、やっぱり横になってしまう。
 ぼくはタックルのとき、体が横になる悪いくせがある。なぜ横になったらいけないのかは、いりょくが低く相手をたおせないからだ。いりょくが低いタックルは、ラグビーの試合では通用しない。ぼくも、さいしょは、できてたけど、一度試合でふっとばされて、こわくて、体をたてにできなくなった。だから、こわいけど、「俺ならできる。俺ならできる。」を何回も心の中で、言うようにした。そしてためした。青いタックル用のサンドバッグに心の中でつぶやきながらやってみた。「よし、これならできる。」思ったより、うまくいったので、何回も何回も練習を続けた。
 そして、今日も、青いサンドバッグに何回とたてにタックルすることができた。「よし、紅白試合では、強い人をたおすぞ。」相手チームには、わたなべ君としゅうほ君という六年生がいる。二人とも足が速い。しゅうほ君は力が強くて、こうげきの中心になっている。
 今日は紅白試合。ぼくが、今日マークするのは、わたなべ君だ。なぜ、ぼくがわたなべ君のマークかと言うと、五年生の中で一番速いのは、ぼくだからだ。
 前半が始まった。わたなべ君をつかまえて、タックルしたけど、しゅうほ君には、たおされてしまった。「ピピピー。」前半終了の合図だ。このとき点数は二十対五だ圧倒的に負けている。
 後半が始まった。今度こそと思ったけど、しゅうほ君は速くてなかなかタックルできない。後半最後らへんで、しゅうほ君にタックルするチャンスがきた。「ドン。」ついに、しゅうほ君にタックルした。しゅうほ君はねばった。それでも、ぼくはタックルを続けた。ぼくは心の中で「ぼくならできる。」と心の中で何度もつぶやいた。いっしゅんの出来事だった。気がつくと、しゅうほ君がたおれていた。お母さんたちのおどろきの声が聞こえてきた。
 結局負けてしまったけど、次の大会では、タックルをいっぱい決めて勝ちたい。


NTTドコモ賞 大村 結子 (博多小学校6年)
「最後の子供山笠」

 私は山笠が大好きです。山をかいたり、台上がりしたり、鼻どりをしたいです。でも、女だから出来ません。
 私が通う博多小学校では、毎年七月に子供山笠という行事があり、六年生は全員、人形作り・手のごいぞめ・ごりょんさんのグループに分かれて、六月に準備をします。どのグループも男女混合で、ごりょんさんグループに男子もいます。私は女だけれど、少しでも山笠に関わりたいと思い、子供山笠の実行委員になり、ごりょんさんグループのリーダーになりました。ごりょんさんグループは、山笠の歴史を調べて学ぶ事から始まり、子供山笠に参加する全員のためにお守りを作ったり、当日応援するための横断幕を作ったり、参加する全員にふるまうぶた汁作りをします。ぶた汁作りは、数日前に、本物のごりょんさん方が来校して指導してくださいます。私は、ごりょんさんグループのリーダーとして、自分で考えて、六月中旬の休日に行われる棒締め縄ないの見学に行ったり、人形作りのお手伝いをしました。子供山笠当日は、三日間とも、始めの会から終わりの会までずっと応援して回りました。
が、しかし、三日目の最後の記念写真撮影に、女子は参加させてもらえませんでした。私だけでなく、三日間ずっと懸命に応援していた他の女子達も、がっかりしたり、おこったりしていました。
 数日後、大人の山が動き出しました。毎年かき山ばかり見ていた私ですが、今年初めてごりょんさん方の様子が気になりました。みなさん、「洗たくが大変!家の中がめちゃくちゃ!」と話しながらも、楽しそうです。子供達やご主人を、カメラやビデオで懸命にとっています。注目され、ほめられるのは男なのに、ごりょんさんはどうしてうれしそうな顔をしているのでしょうか。その時、気が付きました。そういえば私も、私達が作ったお守りをみんながつけてくれた時は、とてもうれしかったし、男子が櫛田入りで真剣に山をかいている時は、私もかいている気持ちで応えんしていました。ごりょんさん方はきっと、そんな気持ちで見守っていらっしゃるのだと思いました。ずっと、山をかけない女である事がいやだと思っていましたが、ごりょんさんのように優しく支える女はかっこいいと思うようになりました。学校で、ごりょんさんの経験が出来て良かったです。


NTTドコモ賞 篠崎 莉里 (和白東小学校6年)
「本を読む事」

私が大好きな事は、本を読む事です。特に物語を読むのが好きです。
 私が本を読むのが好きになったきっかけは、友達にすすめられて、「泣いちゃいそうだよ」という本を読んだ事です。この本は中学生の主人公の女の子の学校生活を描いた物語です。本だと分かっていても、本の世界に引き込まれてしまうような今までに感じた事のない感覚を覚えました。そして、読んでいくうちに、元気が出たり、やる気が出たりしました。
 「泣いちゃいそうだよ」はシリーズになっていて、そのシリーズの中に「本はどこでもドア」という言葉があります。本を読めば、どこにでも行けるという事です。私は思わずうなずいてしまいました。なぜならこの言葉の意味が私が本が好きな理由だからです。想像という力さえあれば、色んな世界へ連れていってくれる本はとてもすごいと思います。
 そして、本は作者へと通じているドアでもあると私は思います。なぜなら、本には作者が読者に伝えたい事や感じてほしい事がつまっているからです。これは人が書いた本である限り、どんな本にも共通していえる事だと思います。なので、私はもっと本を読み、色々な人の考え方や感じ方を知りたいと思っています。
 「泣いちゃいそうだよ」を読むようになって、他の本も読むようになりました。すると、私の部屋にある小さな本棚は本でいっぱいになりました。そして、教科書など、明日の学校の準備をする時に学校に持っていく本を本棚の前で選んでいます。持っていった本は何もする事がないヒマな時などに読んでいます。持ち運びやすくて、ちょっとした時間にでも読む事が出来るという事も本の大きな魅力だと私は思います。
 これから、中学、高校と進んでいきますが、大人になっても私は「泣いちゃいそうだよ」とこの本をすすめてくれた友達の事を忘れないと思います。そして本当に感謝しています。私の友達のように誰かに本を好きになるきっかけを作ってあげられる人に私もなりたいです。
 また、最近インターネットなどが普及してきて、本を読む事が減ってきている気がするけれど、本も人々にずっと読まれ続けてほしいと思います。


NTTドコモ賞 中村 陽和 (賀茂小学校6年)
「私の妹」

 私には3才下の妹がいます。生まれてきたときは、よくおぼえていないけど小さいころは、白くてまん丸でかわいかったです。妹が3才の時、家の中で転んでガラスで頭を切って何針もぬう大けがをしました。その時は血がいっぱい出ていてとても心配しました。幸いおでこに4針ぬうだけですみました。今でもきずを見るとその時のことを思い出してぞっとします。妹が元気でいてくれて本当によかったです。
 妹はいつもあまえんぼうでけんかをするとすぐ泣きます。時々うそ泣きもします。そしてお母さんにいいつけるので、ずるいなぁと思う時があります。いつもへらへらしているので、きっと妹は、なやみなんてないんだなぁと思っていました。
 ある時私が、お友達のことでなやんでいて、お母さんに相談していました。そしたら妹が「お姉ちゃんがお友達を好きになったらいいっちゃないと。そしたら、お友達もお姉ちゃんのことを好きになるよ。」と言ったのです。
 私はびっくりしました。その通りだと思いました。まず自分が変わればいいんだと分かると、心が少し軽くなりました。妹にたすけてもらった気がします。口に出しては言えないけど、心の中で「ありがとう」と言いました。
 私の名前も妹の名前にも、太陽の「陽」が入っています。お父さんたちが、太陽のような人になってほしいと思ってつけたそうです。私も太陽のように自分だけが、かがやくのだけではなく周りも照らしていけるような人になりたいです。これからも、けんかもするけど、なんでも話せる姉妹でいたいです。


NTTドコモ賞 矢野 裕士 (博多小学校6年)
「ぼくの大好きな弟」

 ぼくには、一人の弟がいます。弟は記憶力と観察力がすごくて、何年も前に、一度だけ通った道の周りの建物などを正確に覚えています。けれど、弟には生まれつき、自閉症という障がいがあります。ぼくは、弟を見ると自分がめぐまれていることに気付きます。ぼくの弟は、自分の気持ちを言葉で表したり、人とうまく話したりすることができません。だから、ぼくが通っている小学校には行けません。
 弟は、スクールバスに乗って一時間くらいの所にある特別支援学校に通っています。特別支援学校には、様々な障がいをもった子が通う学校です。ぼくは、ふつうのことがふつうにできます。例えば、宿題は一人でできるし、友達と遊んだり、買い物をしたり、一人で学校へ登校したりできます。でも、ぼくの弟は親といっしょに行動しています。生活するには周りの人の助けが必要なのです。また、弟は耳の聞こえ方がふつうの人より敏感で、ヘリコプターの音やトイレの流れる水の音、犬や子どもの泣き声がとても苦手です。それでしょっちゅう耳をふさいでいたり、こわがったりします。このような自分の苦手な物やこわい物、自分の気持ちをだれかに伝えたり、助けを求めることができないので、急に大声で泣いたりパニックを起こすので時々困ってしまいます。弟が辛いのを分かっていても怒ってしまうこともあります。
 でもぼくは、そんな弟が好きです。弟は今、小学3年生です。学校で色々なことを勉強したり友達と過ごして成長しています。弟は本当に記憶力がすごくて、生まれてから今までのこと、例えば出会った人の名前や顔、出かけた場所やその時の天気、風景、家族の着ていた服など、本当によく覚えていて今でも話してくれます。
 ぼくも弟みたいな記憶力があればなと思うことがあります。でも、その記憶力のために、昔の辛かったことや悲しかった経験を忘れることができなくて、時々思い出して辛くてたまらない気持ちになることがあるのだと両親が教えてくれました。いやなことをいつまでも忘れられなかったり、苦手な音がたくさんあったりする弟ですが、苦手なものでも次第になれて我慢できることが増えています。
 弟は障がいがあっても、苦手なものから逃げずにがんばって戦っています。ぼくにも、兄としてできることがあれば応援してあげたいです。困ったことや苦手なものがあっても、戦い続ける弟を見て、がんばっているなと思います。これからも共に泣いたり、怒ったり、笑ったり、兄として弟を応援したいです。
「だいじょうぶだよ。がんばれ、せいじ!」


RKB毎日放送賞 濱田 朋 (原北小学校1年)
「わたしはほんがすき」

わたしはほんをよむことがだいすきです。ようちえんのころはおやすみのひにとしょかんにいってたくさんのほんをかりていました。
 しょうがっこうにはとしょしつというへやがあってたくさんのほんがぎっしりならんでいてびっくりしました。やすみじかんになるとはやくほんをよみたくてまいにちとしょしつにかよいました。ならんでまっているときは、きょうはどんなほんをかりようか、とか、さきにならんでいるひとにかりられてしまうかも、とごきどきします。
 いままではえほんしかよんでいなかったけれど、ぶあついほんをよめるようになりました。ぶあついほんはえがすくないので、どんなおはなしかそうぞうしながらよんでいます。
 わたしがほんをえらぶポイントはひょうしのえです。たとえば、えがあかるかったらあかるいおはなしだとおもいます。
もうひとつのポイントはほんのだいめいです。かわっただいめいはおもしろいとうじょうじんぶつがでてくるようなきがします。
 もくじもほんをえらぶだいじなポイントです。もくじをみてこのほんをよんでみたいとかんじたらきまりです。
 わたしはほんをよみだすとほんのせかいにひきこまれてしまいます。おはなしにでてくるひとたちといっしょにでかけたり、あそんでいるようなきもちになります。いっしょにどきどきはらはらします。
 ほんをぜんぶよみおえたときは、おもしろかったなぁ、というきもちと、ああ、もうおわってしまってざんねんだな、というきもちになります。
 これからもたくさんほんをよんでおはなしのせかいをたのしみたいです。


RKB毎日放送賞 髙見 航星 (城原小学校2年)
「これぐらいサッカーがすき」

 ぼくは、いえのわしつで、ふすまがこわれそうになるぐらいのつよさでボールをけるから、かあちゃんにおこられる。だけど、いえでもそとでもやりたいときはやる。
 サッカーチームのれんしゅうで0点のときもあるからくやしいけど2点1点でもうれしいから、ほんきではしったりてんをきめたりする。でも、れんしゅうのときは、さいごにリレーがあるので、おわったら体ががたがたです。それでもサッカーがすきです。
 サッカーチームは、雨の日でサッカーがちゅうしになっても、日本だいひょうはサッカーをやるから、ぼくもそれをしてみたいです。日本だいひょうのコーナーキックのときに、水をのんで水とうをなげるのもしたいです。れんしゅうでけがをしても、サッカーをやります。
どんなにあつくても、どんなにあせをかいても、どんなにまぶしくてもサッカーがすきです。
 おとなだけのフットサルにもついていって点をきめます。3点きめたら、じどうはんばいきで、おとうさんがジュースを買ってくれます。いまのところナタデココが一ばんです。
 日本だいひょうになったら、むてきになりたいです。なん人でも人をぬけて、スピードもメチャクチャ早くて、シュートもうまくて、トラップもうまくなりたいです。せかい一のプレイヤーになって、日本だいひょうでかつやくして、日本のサッカーチームがせかい一になりたいです。


RKB毎日放送賞 桃﨑 勇斗 (香陵小学校2年)
「ぼくの大すきなこと」

 ぼくの大すきなことは、やきゅうです。やきゅうがすきなので、やきゅうスクールに行っています。一年生からならいはじめました。ときどき、バッティングセンターにもつれていってもらいます。もっと上手になりたくて、家の近くのやきゅうチームのたいけんにも行きました。そこで、二ヶ月間れんしゅうをしました。そして、この間しあいがありました。ぼくは、二ばんのセカンドにえらばれました。
 「二ばんだから、ぜったいにうつぞ。」
と思いました。はじめて、ネクストバッターズボックスに入ると、五、六年生が、
 「ホームランうて。」
と言ってくれました。ぼくは、
 「がんばるぞ。」
という気もちになりました。だせきに立つと、むねがドキドキしました。3ボール2ストライクになると、もっとドキドキしました。さいごの玉はよく見て、フォアボールで一るいに出ることができました。ほっとしました。それから、ぼくは勇気を出して、とうるいをしました。すると、せいこうしました。うれしかったです。そして、とうとう、ホームにかえってきました。ベンチにもどると、仲まやコーチがタッチしてくれたので、
 「やった。」
と思って、えがおになりました。二だせき目もフォアボールで、三だせき目はサードフライでした。
 しあいにはかちました。自分がるいに出て、チームのチャンスをつくって、点数を入れられてよかったです。やきゅうは一人だったらできないけど、みんなで力を合わせたのでかつことができました。本当にがんばりました。
 でも、ヒットをうてなかったのは、くやしかったです。もっと、れんしゅうをすればよかったです。
 やきゅうせん手を目ざして、これからも大すきなやきゅうを、がんばってつづけていきたいです。


RKB毎日放送賞 藤本 愛衣 (小田部小学校3年)
「わたしの大すきな家族」

 わたしは四人家族です。私のほかにお母さん、お父さん、お姉ちゃんがいます。
 わたしには大すきな家族がいます。いつでも見守ってくれて、やさしい笑顔の家族がいます。
 お母さんは、いつも学校やめんせつでつかれているのに、家事をがんばっているお母さんに「ありがとう」と思いました。そんなお母さんが私は大すきです。その理由は、どんなにつかれていてもお母さんは、いつもやさしい笑顔でいてくれてるからです。
 お父さんは、毎日みんなのために仕事をしています。わたしが、一番にかんしゃをつたえたい人は「お父さん」です。お父さんには手紙で「ありがとう」とよく書いていましたが、何で「ありがとう」なのかを書いていませんでした。
その、「ありがとう」の一言だけでいろんな意味があります。その中でも一番につたえたい意味は、「お父さんが仕事をがんばっているからきゅうりょうがもらえ、そのお金で生活をしているから、家族はみんな生きています。お母さんがまだ仕事を見つけていないので、お父さんは、お母さんのためにも2倍がんばって仕事をしてくれるお父さんに、一番かんしゃの気持ちをつたえたいです。
 わたしはお父さんが大すきです。
 お姉ちゃんは、わたしの遊び相手をしてくれたり、わたしが泣いている時、はげましてくれたりするお姉ちゃんです。夏休みの間は、お父さんは仕事、お母さんは学校で、私はるすばん。そんなつまらない夏休みなんていやだったけど、お姉ちゃんといっしょにいるからこそ、るすばんでも楽しい毎日でした。
やさしいお姉ちゃんに「ありがとう」と思いました。いやを楽しいにかえてくれたお姉ちゃんがわたしは、大すきです。
 わたしは「世界で一番家族が大切だ」ということに気づきました。
 何をしてもおうえんしてくれるお母さん。
 みんなのためにがんばっているお父さん。
 何事でもはげましてくれるお姉ちゃん。
 わたしは、そんな「家族」が「大すき」です。
 


RKB毎日放送賞 小樋井 千里 (金山小学校4年)
「がんばらなくちゃ」

 「おーい。何しようとかー。だらだらせんではよ走らんかー。タックルタックル。」
と今日もかんとくの元気な声がグラウンドにひびきます。
私は「もう頭クラクラで走れん。かわりにかんとく走ってくれー。」と心でさけんでいます。
 二年生のとき、友達にさそわれたので、弟といっしょにラグビーの体験に行きました。ちゃんとやれるかなと、とても不安でした。
けれど行ってみると同じ学年の女子も二人いて、かんとくもコーチも優しいし、軽い気持ちで入部する事にしました。
 最近は、新しい友達も増え、女子も七人になりました。四年生になって、高学年の練習に入る事が多くなり、一週間に二回、土、日の練習です。
「ハァ。」
とみんなのため息も聞こえてきます。私も、暑くて暑くて、きゅうけいしたいのに、きゅうけいできるのは一時間に一、二回。それもたったの三分間、練習中に何度も何度もため息をついては走り回っています。きついから休みたい。やめたいと思った事は何度もありますが、きびしいのは、きっとかんとくやコーチが私達に強くなってほしいからだ。
それを考えると、まじめに練習がんばるぞと思い、力がでてきます。私の学年には女子が三人しかいません。なので四年生の試合では、三年生の男子が加わり、がんばっていますが負けてしまいます。くやしくてなみだが出る時もありますが、「学年や、せい別のせいではなく、私達の練習がまだまだ足りないんじゃないか。」と思います。と思います。きつくてたまらない練習や、試合に負けてなみだを流しても、なぜ好きなのか。続けているのかは、あまり考えた事はないが、きっと、暑い日も寒い日もかんとく、コーチ、そしてお父さんお母さんたちが朝早くからじゅんびしてくれたり、
「おはよう。今日もがんばろう」
と言ってくれたり練習に行く途中では、近所の人が優しく
「行ってらっしゃい、気をつけてね。」
と声をかけてくれます。その一言で私も「がんばるぞ。」と思います。
 そういう人達に見守られているから、これまで続けられていると思います。
そしてチームには、三十人以上の仲間がいます。
きつい時に、笑わせてくれたり、一しょに行こうとさそってくれたり、はげましてくれたりしてくれます。
 それにかんとくのごぼうびが楽しみです。アイスクリームやおかしなどを時々くれます。つかれもすっとびまたがんばるぞーと思います。
 しょう来は何をするかはまだ決めていません。でも今、がんばっていれば色んな事にやくだつと思います。
 さあ夏合宿です。気合いを入れて、タックルしたり、ふりまわされたりしても、ボールを追って走りまわります。


NPO博多の風賞 諏訪 陸矢 (箱崎清松中学校2年)
「僕が大好きなこと」

 今、僕が好きなことは、妹と遊ぶことです。
なぜなら、今、妹は一才半で毎日成長に溢れているからです。ある日、急に立ちあがったり、歩き初めたり、言葉を言えるようになったりするので今日は何をするか、いつも楽しみです。最近では、絵本を真似したり、うなずいたりするようになりました。けれど、毎日いっしょにいるのでちょっとの成長に気づかないときがあります。そのときは、久しぶりに会った人に髪がのびたことや大きくなったことを妹に言うのを聞いて成長を実感します。
 僕の幼かった頃はおとなしかったそうです。
けれど妹は、暴れん坊で性格が反対です。気にいらないことがあったらすぐなにかにかみついたり物を投げたりと大変です。僕を育ててきた親の大変さが分かる所も妹と遊ぶことのいい所です。
 妹と遊んでいると、母が家事が楽にできるので親孝行にもなります。妹の体力には、いつも驚かされます。この前は、寝る前のひと遊びと思い、遊んでいたら、こっちがヘトヘトになっても遊んでいました。結局、一時間ぐらい遊んでようやく寝てくれました。毎日遊んでいても保育園でいろいろなことを覚えてくるので毎日が驚きでいっぱいです。
 妹と遊ぶおかげでいいこともたくさんあります。たとえば、毎日のように絵をかかされて、最初の頃は頭にうかんでても、どうかくか分からないものがあったけれど、今はたくさんの絵をかけるようになりました。また、ゴミ捨てや、少しの外出でもついてこようとするので,少しの外出でも運動になります。
妹に、ゲームをじゃまされたり、テレビを占領されたりするので勉強するきっかけになり、テレビ、ゲームの時間も減ります。
 このように、妹と遊ぶことで、妹の成長過程を見れて、親の大変さが分かり、親孝行に絵をたくさんかけるようになったり、運動量が増えたりするなどいことがたくさんあります。時には勉強をじゃまされたりやりたいことができなかったりするけれど、いいことのほうが多いので、僕は妹と遊ぶことが好きです。もうすぐ受験だったりして、妹と遊べなくなるので、いまのうちに遊んでおきたいです。妹になにかをじゃまされたりしても、決して怒らず、常に優しく接してあげたいと思います。
 これが僕の大好きなことです。


NPO博多の風賞 大和 未波 (千代中学校2年)
「魔法の薬」

「十五日間だけ男の子になれる薬があったらなー」と毎年思います。
 博多は七月になると活気にあふれます。なぜかって、それは私の大好きな博多祇園山笠があるからです。私の父と兄は山笠に出ており、母と私は炊き出しのお手伝いをしています。
 本当は、やまを舁きたいのですが女の子なので出ることが出来ない。でも、男の子になれたら,やっぱり一番はやまを舁きたい。
 私の父は若い頃、表の左肩の二番棒に入っていました。今は流委員として、みんなをまとめています。私は父をとても尊敬していますし憧れています。なのでやまを舁くとなると父と同じ左肩の二番棒に入りたいです。
 そして、将来的には赤てのごいをもらい、棒組みにも選ばれたい。でもこれはかなわぬ夢です。
 私は男に生まれてこなかったことが悔しいですが、グズグズ言っていてもいけないので一生懸命に父と兄のサポート、山にでている男の人たちのサポートをしていきます。
 今、私にできることは男の人達においしい料理をつくること、水かけをすることです。
 私の学校の友達はほんの少ししか山笠に参加していません。残りの人は恥しいとか、めんどくさいとか言ってでていません。
 山笠にでたいけど出れない人はたくさんいると思います。なので、出れる人は積極的に山笠に参加してほしいです。そして、山笠の楽しさをしってほしいです。
 私は改めて、山笠の素晴らしさに気付けました。山笠は、一つの物をみんなで協力して動かします。決して一人でできるものでもありません。十五日のフィナーレはタイムをきそい合います。男の人達も目の色が変わり、一致団結してものスゴいスピードでやまをはこびます。男の人たちの目の輝き、タイムが良くてのよろこびかなしみ全ての終わりを合図する手一本。すべてが私の中では新鮮で気持ちが高なります。
 こんな素晴らしい祭り「山笠」が私は大好きです。


NPO博多の風賞 内立元 りん (照葉中学校3年)
「私が嫌いで、大好きなもの」

 「ピーーーーーーーッ。」
 コートに笛の音が鳴り響く。私達の夏は、その瞬間に終わった。一瞬で終わった。私が一番大嫌いで、そして大好きな、「バスケットボール」が。
 私が「バスケ」という競技に出逢ったのは約二年三ヵ月前、中一の四月。別にバスケが好きだったからバスケ部に入ったのではない。部活動の紹介のとき、元気に笑顔で、そして楽しそうにプレーをしていた先輩方が私にはとてもかっこ良く見えた。きらきら輝いて見えた。こんな風になりたいと思った。だから、一番最初に入部届を出した。
 その頃は、バスケが楽しくてしょうがなかった。授業終わったら走って体育館へ行き、練習した。バスケが大好きだった。
 でも。そううまくいくはずなかった。夏休みになると、毎日が地獄のような日々だった。
元々、足の速くなかった私には、走るメニューは「苦」でしかなかった。部活が嫌で、嫌で、泣きながら部活に行った時もあった。私はこの時、バスケ部に入ってとても後悔していた。バスケがーーーーーーー「大嫌い」になった。
 いつのまにか、十一人もいた一年生が、二年生になると六人まで減った。
 どうして、私は辞めなかったのか。「辞めたい」と思ったことは数えきれない程ある。
なぜ?それは一番に「行きたくない。」と言っても、「がんばれ,大丈夫。」と背中を押してくれた母。帰ってきた時、「がんばったな。」と温かく言ってくれる父。「卒部するまでがんばれよ!」と励ましてくれる兄。そしてきつい練習をしている時、「いけるいける!」と応援してくれる先輩。「一緒に頑張ろう」と励まし合える仲間。そんな人達がいたからこそ、私はここまでバスケを続けることができた。
 二年生の夏休みを過ぎると、私はまた「バスケ」が大好きになっていた。
 私がバスケで嫌いなことはきついこと。でも、大好きなことは全部。「嫌いなことはきついこと」って言ったけど、やっぱりそれも好き。大好き。仲間とやっていれば、きつくない。だからバスケは、大嫌いなようでーーーーーーーー本当は大好き。
 私たちの目標は「市大会一勝」だったけどそれは達成できなかった。負けたことは悔しいけど、女バスケに入って後悔していない。
 私はバスケが大好きだ。


NPO博多の風賞 中野 碧 (照葉中学校3年)
「一人の行動で雰囲気は変えられる」

 「最後の運動会、これで終わっていいのだろうか。」
 私達三年生は、本来下級生を引っ張る立場であるのに、一番声が出ていない、行動が遅い、そして盛り上がりに欠けていた。私はこの状況に対し、とても焦りを感じており、どうにかこのやる気のない雰囲気を変えたいと思っていた。しかし、一人で大きな声を出すことへの羞恥心や、応援団でもない自分が一人で頑張ったってどうしようもないだろうという弱い気持ちが邪魔をして、なかなか行動に移せないでいた。
 だが、運動会前最後の週末明け、本番まで残り五日となり、私は全てに全力を尽くすことを決めた。応援合戦は声が枯れるまで出した。行進や体操も、誰よりもきびきび動くつもりでした。運動は苦手だが、競技は精一杯取り組んだ。
 最初の二日は、自分の周囲で何も変化が起こらず、
「やっぱり無駄か・・・。」
と、弱い自分に戻りかけていた。
 しかし、変化は三日目の応援練習の時間に起こった。クラスの友達二人が、
「碧を見て私も声出そうって思った。」
と言って、私と一緒に本気で盛り上がってくれた。それに気付いた他のクラスメイトも、
「私も。」
「俺も。」
と一人、また一人と協力してくれる人が増えていった。今度は、みんなの雰囲気が変わったことに気付いた応援団が笑顔になり、より一層声を張った。そんな三年生のただならぬ気合いを感じたのか、後輩達も大きな声で歌い踊りも大きく踊り、やる気を見せ始め、私達赤組は、最初と比べ、確実に良くなった。
 実際、応援合戦では、白組の方が優勢だと言われていた中、最後は赤組が勝利したのだ。
 私はこの目で見た。感じた。自分の起こした行動が、徐々に周りの人を変えて、最終的にはみんなの力でとても良い雰囲気へと変わっていった光景を。
 この体験から、たった一人の行動でも、全体の雰囲気を変え、団結の連鎖を生む力があることを知った。私は、周りへ良い影響を与えられる様に、何事にも前向きに取り組み、みんなが笑顔になれる雰囲気を作り出せる人間になりたいと,今強く思っている。


NPO博多の風賞 松浦 矢苑 (箱崎清松中学校3年)
「私の大好きなこと」

 八月二十三日の発表会に向けて、私達は今猛レッスンを積んでいる。半年前から始まった練習が、本番前一ヶ月をきると毎日三時間以上がレッスンになり、体も限界に近づいていた。
 私は今十五歳で受験生だ。こんな大事な時期に習い事をしているのか。それは、将来なりたい職がそれだからだ。
 まず、それと言うのは私が三歳の頃から始めたバレエのことだ。幼い頃からよく母にバレエの公演に連れて行ってもらっていた私は、その頃からバレエが好きだったようでいつもニコニコして舞台を観ていたそうだ。バレエを習い始めたのも、そのくらいの時だったと聞いた。その時私はまだ幼かったため、あまり記憶はないが、レッスンに行くことがとても楽しみで家ではいつもバレエのポーズをして写真を撮ってもらっていた。
 それから、十五年間一度もバレエを辞めることなくずっと通い続けた。時には、辛くてレッスンに行くのも嫌だったこともあった。先生に怒られるのが嫌で、その事しか頭になかったことも。それでも、今まですっとバレエを習わさせてくれた親に申し訳なく、辞めたいとも言えず、バレエは楽しいんだと必死に自分に言い聞かせた。その後、バレエスクールを何度か変え、今のスクールにたどり着いた。今のスクールに来たのは三年前だが、友達や先生も変わって、毎日が新鮮な感じだ。もちろん、今はバレエに行きたくないなんて思うこともなくなったし、逆に新たに夢が出来た。それが、バレエダンサーだ。
 この夢は、本当に厳しい世界のもので体型や骨格などの努力ではどうにもならない、限られた人しか生きていけないものなのである。体調管理はもちろん、体型をキープしたり筋力をつけるためのトレーニングを行わなければならない大変な世界だ。
 今の私には、足りないものが多すぎると思う。それは、周りからも言われるし自分でも思うこと。努力だ。努力以外にもたくさんあるのだが、今一番の自分への課題はそれだ。
 努力は、バレエの世界で生きていくためには絶対に欠かしてはならないもので、努力の上に花が咲くと言うことわざもあるくらいだ。つまり、努力をしないと花は咲かない。バレリーナにはなれないのだ。楽しいからと言う理由だけでは、到底バレリーナになんかなれるはずがない。
私はこれからも大好きなバレエを続けるために、努力を怠らずに夢に向かって突き進もうと思う。








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